[書評]加害者に寄り添い、受容的な態度を。「反省させると犯罪者になります」
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こちらも、早く読めば良かったな〜と思った本。
犯罪を犯し、刑務所にいる受刑者に反省のみを促すことに警鐘を鳴らしています。
学校での生徒指導に対しても思ったより多くの具体例が載せられていました。
それもそのはず、著者は以前私立学校で生徒指導をしており、現在は大学で教鞭を取りながら犯罪者支援をしているという方。
まさに、この本に書いてあるような指導方法で生徒指導をしている学校が多いです。
私たちは一体、何をしているのか?
子ども達のためになっているのか?
考えさせられる本でした。
なるほど!メモ
子どものピンチをチャンスにするには、反省の順序を間違えないことが大切みたいです。
後悔が先、反省はその後
大学生に犯罪心理を教えるとき、友達から大麻をもらって所持してしまい警察から呼ばれたときの気持ちを考えさせる。
「なぜ、あの時はっきり断らなかったのか」
「時間が戻ればいいのに」
「怖くて仕方ない」
と、学生は後悔する気持ちを一番に訴え、それ以外にはこれからの不安や恐怖を述べる。
自分が違法行為をしたことに対する罪の意識を語った学生は皆無。
悪いことをしてばれた時の人間の心理は、反省とは程遠い。
反省をさせるだけはダメ
なぜ自分が問題を起こしたのかを考えることにならない。
言い換えれば、反省は、自分の内面と向き合う機会を奪っている。
問題を起こすに至るには、必ずその人なりの理由がある。
私たちは、問題行動を起こした者に対して、
「相手や周囲の者の気持ちを考えろ」
と叱責しがちですが、最初の段階では
「なぜそんなことをしたのか、自分の内面を考えてみよう」
と促すべきです。
問題行動を起こした時こそ、自分のことを考えるチャンスを与えるべきです。
大人ができること
問題行動の背景を一緒に考える。
叱るという態度ではなく、受容的な態度で臨む。
「今回、なぜこのようなことが起きたのか、一緒に考えよう」
と一緒に考える姿勢でいることを伝える。
子どもが本音を話してくれたら、
「よく話してくれたなあ」
とねぎらう。
子どもが自分の不満やストレスを言語化し、苦しい思いを受け止めてもらうことによって、子どもも問題行動の過ちに自ら気づくことができる。
学校とは、人を罰するところではなく、人をより良い方向に導く「教育の場」である。
反省という形を求めるのではなく、更生という視点もつこと。
まとめ
いくつか模範的な反省文が掲載されており、なぜこの反省文が良くないのか、理由が述べられていました。
頼れる、本音を言える人が周囲におらず覚せい剤の薬物を使用してしまった人、家族がいるのに甘えることができず、暴力団に入り可愛がられたことで殺人を犯してしまった人…。
上記のように抑圧が外に向かなくても、内側に向かってしまい子育ての中で世代間連鎖をしてしまうこともあるとのこと。
子どもを育てること、成長させることってなんだろう?
成長を促すことの意味を最近考えることが多いです。
自分のできる範囲で、行動を変えて行きたいと考えています。
ではまた☆