まなびと!

自らが学び続ける教師でありたい。振り返りの記録です。

[書評]気鋭の教育学者、苫野先生の苦悩と哲学が学べる!本「子どもの頃から哲学者」

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「哲学って宗教とどう違うの?」

「哲学は教育に役立つの?」

私は、高校の倫理の授業で挫折したクチです。

苫野先生の、

「勉強するのはなんのため?」

新書「教育の力」

を過去に読んでます。

著者はイケメンで頭もキレるし、今までの人生もさぞかし輝かしかったことでしょう。

と思っていたら…この本で大きく覆されました!

手塚治虫を愛し、ほかの子がハマっているテレビゲームには見向きもしない。

孤独を愛しているフリをしているものの、周囲から愛されたい欲求が。

高校、大学とさらにこじらせなんと8年間も躁鬱を繰り返し、2日間笑いと嗚咽が止まらないという状態を周囲に見られドン引きされてしまう…。

そんな苫野青年を救ったのが哲学!

人類の歴史の中でどんな哲学者が何に悩み考えを深めていったのか、著者の当時の悩みに寄り添っていて読みやすかったです。

「なぜ哲学書が読みにくいか」

も理解できました。

哲学の力を信じたい。

今回は、私を含め先生方の悩みに役立ちそうな哲学者の考え方をご紹介します。

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正しいことなんてない、からの脱却

現代の哲学はあらゆるものを早退し尽くした、これをポストモダン思想と言います。

自分たちが絶対に正しいと主張して殺し合う悲惨なイデオロギー戦争が20世紀までの戦争だったからです。

しかし、正しいことなんて何もないと言ってるだけでは、それならばどんな社会なら良いのかという答えは見えてきません。

お互いの信念をただ主張しあっていたら、どちらが正しいかの言い合いになっています。

しかし、その信念の底にある欲望の次元までさかのぼってみることで、

「そんな理由でこんなことを考えていたんだね」

という一定の共通理解が生まれる可能性があります。

自分が自由に生きたいのであれば、それを主張し合うだけではなく、他のみんなも自由に生きたいんだということをまずはお互いに認め合う。

これを、自由の相互承認の原理と言います。

これは二百数十年前に、ヘーゲルによって示された考え方です。

なるほどそうだね、と多くの人が納得できる解が哲学

哲学の用語では原理的といった普遍的といった言葉を多用します。

それは絶対の真理ということを意味せず、誰もが、

「なるほど、それは確かにその通りだね」

と言えるかどうか、哲学はそういうものだそうです。

つい、絶対的な答えなのかな…って思っていました。

誤解が解けて良かったです。

なぜ、哲学書が難しいのか?

哲学書が難しい理由の一つに、当時は社会でその概念がなかったことで、哲学者が頭をひねって作り出した新しい言葉だから、ということが挙げられます。

当時の哲学者にとっては新しい概念だったにもかかわらず、私たちにとってはすでに当たり前のことになっていることも多いです。

「なぜそういった概念を新たに、難解な言葉回しで学ぶ必要があるのか?」

といったこともモチベーションが下がる理由の一つに挙げられると思います。

先程申し上げたように、高校時代の倫理の授業は先人の考え方をなぜ暗記しなければならないのか、と疑問に思う苦手な科目でした。

苫野さんのようなわかりやすい哲学書があると大変助かります。

この本は悩み大きい、高校生や大学生にもぜひ読んでもらいたいですね

まとめ

著者は哲学に出会うまでの間、自分の問題だけに精一杯で社会のことにはほとんど関心がなかったそうです。

しかし哲学を学んだ今では、これからの世界をどう構築していけばよいのか、なんてことを探求できているそうです。

「自分とは何者なのか??」

という狭い視野の中だけでなく、社会との関わりの中で自分というものを考えていけることで自分の内側の狭い悩みから脱出できるようですよ。

ちなみに哲学者は、元々うつ傾向の人が多いらしいです。

苫野一徳青年が衝撃を受けて師事した哲学者は、竹田青嗣先生です。

新書なら、読みやすいかもしれませんね。

ではまた☆