まなびと!

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自らが学び続ける教師でありたい。振り返りの記録です。

[書評]これからの教育を展望する!すべての子どもに生きる力を。「教育の力」

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尊敬している先生方が読んでいるのを知り、手に入れてみました。

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若い教育学者が、教育について考えた本。

Amazonの紹介より。

「平等か競争か」「ゆとりか教え込みか」「教育は子どものためか社会のためか」…

教育界に渦巻く不毛な対立を乗り越え、みんなのための、より「よい」教育のあり方を提示する。

すべての子どもに“生きる力”を。

 

すでに何冊か哲学的な本を書かれていますし、最近では軽井沢に新しい学校を作るとのことで代表に名を連ねていらっしゃいます。

ここ数年、私もチェックしている『学び合い』や、学びの共同体についても触れられていました。

なるほど!メモ

教育の目的

公教育は、全ての子どもが自由な存在たりうるよう、そのために必要な力を育むことで、各人の「自由」を実質的に保障するものである。

自由に生きるためには、他者の自由もまた認めることができなければならない。

公教育が発明される前の身分社会においては、人びとは時として、身分が違えば相手を同じ人間だと思うことさえなかった。

もう一つのキーワードは、「一般福祉」。

できる子により教育投資をすることで、できない子たちもそのおこぼれにあずかってそれなりの生活を送れるようにという改革は、一般福祉の概念がほとんど見られないと言わざるを得ない。

早い段階から教育の質の機会に差をつけてしまう政策は、まさに一部の子どもたちだけの自由を促進し、他の子どもたちの自由を侵害する政策になってしまっている。

教育は何のためにあるのか…つい、役に立つとか選択肢を広げるとか俗っぽい考え方した出来なかったりしますが、自由、一般福祉。なるほどスッキリしました。

学力とは何か

学力とは、時代によっても求められる力が違ってくる。

現代の公教育が保障すべき学力は、「学ぶ力」のことである。

現代社会は、私たちに「学び続ける」ことを強要する社会であり、そこから「降りる」ことを許容しない、ある意味では極めて息苦しい社会である。

そうなんですよね…。

勉強が苦手だから、頭を使わない仕事に就きたいという希望も生徒から耳にしますが、そもそも頭を使わなくていい仕事自体が存在しないというか…。

昔の人が頭使わなかったワケじゃ無いだろうけど。

学びのキーワード

学ぶ力を育むためのキーワードは、

  1. 「学びの個別化」
  2. 「学びの協同化」
  3. 「学びのプロジェクト化」

である。

子どもの興味感心はそれぞれ異なるし、学ぶスピードも、自分にあった学び方も、本当は人それぞれ違っているはず。

一律にやらされる勉強は、子どもたちの学習意欲を削いでしまう大きな要因になる。

「学び合い」は教師一人の授業力に頼りすぎるのではなく、多様な子どもたちの力を持ち寄ることで、是認の実りある学びを達成することを目指す授業のあり方である。

よく、競争が学力の向上策として取りざたされるが、実は教育学や心理学などの様々な調査研究において、その通念はは多くの場合かなり間違っている。競争より、協同の方が高い生産性を産む。

『学び合い』は、8年ほど前に出会って「これだ!」

と飛びついたものの、中途半端な実践で終わってしまってます。。。

学校空間の再構築

学校といえば、学級をイメージする。

しかし、この学級を舞台に様々な問題が噴出している。

学級という仕組み自体が、時代にそぐわなくなってしまっている。

「学級は一つの共同体であるべき」という規範や、仲間作りの文化などが重視された。

このような共同体においては、クラスに馴染めないこと、場の空気を読めないこと、集団としての規律を乱すことなどが単純に悪と見なされやすくなってしまう傾向がある。

より、「人間関係の流動性」を保障する仕掛けが必要になる。

学級って、息苦しいよね…。

空気を読めない者が悪い、になっちゃうんだもんね。

教師の資質

教師の専門性とは、「これからの教師はこのような資質が絶対に必要である」などと強固に主張するのは非現実的。

学校には多様な先生がいていい。

省察的実践家であるために、子どもたちの学びを支え導く教師自身が、常に「学び続ける」ことが求められている。

教師が信頼するのは生徒の成長であり、今の自分の期待が裏切られるのは当たり前のこと。

多様な先生がいてもいい、というくだり、励まされました。

生徒の見本になるくらいでいいのかもしれませんね。

ディベートのすすめ

  • 対立する意見の底にある、欲望、関心を自覚的にさかのぼり明らかにする
  • 互いに納得できる「共通関心」を見出す
  • この「共通関心」を満たしうる、建設的な第三のアイデアを考え合う。

私たちのこれからの世代には、絶対的な正解のない、極めて複雑な問題が山積している。

あちらかこちらかで争うのでも、正しいことなんてなにもないで済ませるのでもなく、どうすれば相互に共通理解を得られる考えを出しあっていけるか考えることがこれからの教育が育むべき教養と言えるのではないか。

まとめ

教育は皆が経験することであり、専門家だけでなく多くの人が意見を持っている分野なだけに、振り子のような振れ幅の大きい教育政策に現場も振り回されて大変…だったりします。

建設的な第三のアイデアを出し合えるような教育に賛成です。

沢山の人に読まれますように。

ではまた☆

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