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自らが学び続ける教師でありたい。振り返りの記録です。

[書評]コンピテンシーベースの評価・学力をめざす「今求められる学力と学びとは」

書評
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今求められる学力と学びとは-コンピテンシー・ベースのカリキュラムの光と影-

尊敬している先生がFacebookで紹介されていました。著者は、京大の教育学研究科の准教授。

ブックレットということでページ数は少ないものの、1ページあたりの漢字が多めで何度も寝落ちしてしまいました。(あらら)

でも、仕事場で何回かこの本の紹介をしているうちに、著者が何を言いたいのか分かってきた気がします。

アウトプット大事だね!!

amazonの紹介文より。

社会の変化、およびそれに伴う学校に期待される役割といった根っこの部分を解説するとともに、今どのような学力や学びをめざすべきなのかについて論じる。

目次の構成はこちら。

第一章 コンピテンシー・ベースへのカリキュラム改革をどう見るか

第二章 めざす社会像と人間像から学力像をどう描くか

第三章 社会からの「実力」要求を学校カリキュラム全体でどう受け止めるか

第四章 今どのような教科の授業が求められるのか

第五章 新しい学びの追求において知識修得はどう位置づけられるのか

第六章 新しい学力と学びをどう評価していけばよいのか

授業づくりの中で、本質的な悩みにぶち当たった時に戻って読むと良さそうです。

なるほど!メモ

コンピテンシー・ベースとは

コンピテンシーってなんだっけ?wikiで調べたところ、企業の評価に使われる行動特性のようですが、文科省で紹介されている内容はまた違うようです。

上記のサイトより。

【経緯】
○ 教育の成果と影響に関する情報への関心が高まり、「キー・コンピテンシー(主要能力)」の特定と分析に伴うコンセプトを各国共通にする必要性が強調。
○ こうしたなか、OECDはプログラム「コンピテンシーの定義と選択」(DeSeCo)を1997年末にスタート。(2003年に最終報告。PISA調査の概念枠組みの基本となっている。)

コンピテンシーの概念】

○ 「コンピテンシー(能力)」とは、単なる知識や技能だけではなく、技能や態度を含む様々な心理的・社会的なリソースを活用して、特定の文脈の中で複雑な要求(課題)に対応することができる力。

【キー・コンピテンシーの定義】

○ 「キー・コンピテンシー」とは、日常生活のあらゆる場面で必要なコンピテンシーをすべて列挙するのではなく、コンピテンシーの中で、特に、1人生の成功や社会の発展にとって有益、2さまざまな文脈の中でも重要な要求(課題)に対応するために必要、3特定の専門家ではなくすべての個人にとって重要、といった性質を持つとして選択されたもの。
○  個人の能力開発に十分な投資を行うことが社会経済の持続可能な発展と世界的な生活水準の向上にとって唯一の戦略。

 

学力向上と言っても、読み書き計算のみが推奨されているわけではなく、知識を習得する以上の能力を育てる、思考し協働し表現する活動が目指されている。

自立した人格を持ち、他者と協調しながら新しい価値を創造する力などの育成がもとめられているそうです。

知識の活用について

学力・学習の質的レベルをふまえると、「考える力を育てるかどうか」という問い方ではなく、「どのレベルの考える力を育てるのか」という発想で考えていかなければならないことが見えてくる。

従来の日本の教科指導で考える力の育成という場合、基本的な概念を発見的に豊かに学ばせ、そのプロセスで、知識の意味理解を促す問題解決型授業が中心。

これからは、現実世界の文脈に対応して個別の知識・技能を総合する「使える」レベルの思考力を発揮する機会が独自に保証されねばならない。

言語活動の充実、学び合い、アクティブラーニングの弱点を補うには

教科指導における「真正の学習」の追求は、「教科を学ぶ(learn about subject)」授業と対比されるところの、「教科する(do a subject)」授業(知識、技能が実生活で生かされている場面や、その領域の専門家が知を探究する過程を追体験し、「教科の本質」をともに深め合う授業)を創造すべきと理解すべきでしょう。

こういった「言語活動の充実、学び合い、アクティブラーニング」などの学習形態レベルでの授業改善の取り組みは、「教科する」授業の入り口へとして生かすことができる。

むしろ、「教科する」授業を意識することは、これらの取り組みが形式主義や活動主義に陥ることを防ぐ意味を持つ。

「学び合い」「アクティブラーニング」に関しても、深める価値や余地の少ない討論やグループ活動を行っていないか、みんなで共同して課題を遂行できたとしても、そこで個々人の学びが保証されているとは限らないのではないか(静かにつまづいている子がいるのではないか)と言った点に注意が必要です。

知識習得の位置づけ

活動で協同的な授業は、知識、技能の修得や定着とも密接に関係しています。そもそも考える力の育成は、知識の習得と不可分な関係にあります。知識無くして思考は働かないし、思考し表現する活動は、必ず何らかの知識の習得や理解を伴います。

既有知識と関連付けられず納得が得られないまま与えられた知識は、定着せずすぐはげ落ちてしまいます。

教師の一方的な説明による一斉授業の形態であっても、学習者に学力があれば、彼らの内面で前記のような有意味な学びが展開することは不可能ではありません。

しかし多くの場合、一方的な一斉授業の形態では、教師の話を聞いて、板書をノートに写したりする行動が見られても、内面では別のことを考えていたり、そもそも思考がストップしていたりと、子どもの内面的な思考の総量が十分に保障できていないのではないでしょうか。

また、たとえば歴史の授業で、教師の意識としては、個別の用語よりそれらをつなぐ因果関係を強調して説明していたとしても、多くの子どもは個別の用語のみをキャッチしているといった具合に、一方的な一斉授業では、その内容の受け止め方は子どもの学び方に依存する事になりがちです。

さらに言えば、個別の歴史的な出来事をつなぐ部分を教師が説明してしまうことは、出来事をつなぐことを子ども自身が体験する機会を奪っています。

勉強が苦手な子は、学び方のレベルでつまづいている事が多いのです。

「教科する」授業の追求は日々の「わかる」授業をどう変えるか

「資質・能力(コンピテンシー)」はレントゲン写真の・ようなものであって、そのもとになった社会像や人間像を明らかにしていないと、カリキュラムの内容や系統は明らかになりません。

逆に、骨格のみを示すものなので、内容や活動による肉付けの仕方に幅が生まれうるのです。

内容面から教科の本質を捉えるのみならず、子どもたちの活動や思考のプロセスが本物に迫るものになっているかどうかを問題にする視点が重要です。

そうした視点を持つことで、内容がよくわかってすっきりする「わかる楽しい授業」を超えて、学ぶことであらたな問いやさらにわからないこと(追求したいこと)の生まれる「もやもやするけど楽しい授業」への道が開かれるのです。

新しい学力と学びの評価

「使える」レベルを評価する上で有効な方法としては、「パフォーマンス評価」を上げることが出来ます。

パフォーマンス評価とは、一般的には、思考する必要のある必然性のある場面で生み出される学習者の振る舞いや作品を手がかりに、概念理解の深さや知識・技能の総合t系な活用力を質的に評価する方法と定義できます。

課題の例としては、地元の商店街の調査を行ってその広報用リーフレットを作成する社会科の課題、あるいは、栄養士になったつもりで食事制限の必要な人の献立表を作成する家庭科の課題などがあげられます。

パフォーマンス評価においては、課題への学習者の取り組みには多様性や幅が生じるため、教師による質的で専門的な判断に頼らざるをえません。

よって、パフォーマンス評価では、主観的な雹霞にならないように、「ルーブリック」と呼ばれる、パフォーマンスの質を評価する評価基準表を用いることが必要になります。

まとめ

普段は多少噛み砕いて「こうだったよ!」とお伝えしたいところなのですが、今回はほぼ引用…。

えーと、上記の引用にもあるように、「すっきりわかった!本」ではなく、「もやもやするけど、楽しい本、これから探求するテーマをもらえる本、チャレンジする価値のある本」だったと思います。

自分が目指している授業は「よーくかみくだいて、すっきりわかった」だったのかなぁ~と思い返しました。

じゃあ、説明力不足で生徒が分からなくてイライラする授業ではなく、分かる部分がありながらも生徒にチャレンジングな課題を与えていく…

難しいけれど、今後生徒にどのような学力をつけていくのか?いい宿題ができました。(単に、私の読解力が無いだけかもだけど…。)

ではまた☆